ほんりゅう 2021年3月20日(長谷川)

中学校教員だった父は熱心な組合員だったが、50代が近づき管理職登用の勉強を始めた。中学生だった僕は寂しかった。やがて教頭となり、職場で親しまれ尊敬されている事を伝え聞き、誇らしく思った。後に、「組合員でも管理職になれる先例を作りたかった」と聞かされた。しかし、出世した父の事を悪く言う声も聞いた。校長にはなれない事がわかった夜、父は泥酔して帰宅し、玄関で初めて泣いた。でも僕はむしろ嬉しかった。父は早期退職後、教員を支援する団体に関わり続け、引退した▼父は、立身出世は男の勲章という時代に反発しつつ縛られていたと思う。現在はどうだろう。ギラギラした教員が管理職にも教育委員会にも少なくなった。本音を聞くと、「出世したかったわけではない」「生徒に関わりたくて教員になったはずなのに」と吐露する。文句や嫉妬の声も知っているが「誰かがやらなくちゃいけないから」「できれば現場の先生方が少しでもやりやすくなるようにしたい」という思いも聞く▼自分はヒラとして退職を迎えるが、父への反発でも父の継承でもない。自分が「最後まで生徒に近いところにいたい」「困っている教員を支えたい」と思い続けてきた結果だ。だから、ヒラでの退職を卑下する気持ちも、誇らしげに語る気もない。動揺した時期がなかったわけではないが、自分の思いを大切にしてこられたことに感謝したい。

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