ほんりゅう 2020年9月20日(長谷川)

教え子の教員も増えた。教え子の教員が懇談をしていたら、保護者も僕の教え子だったという連絡を受けた。どんな話で盛り上がったのだろう▼父母が亡くなって約10年たち、思い出す回数も減った。しかし、僕が思い出す限りにおいて父母は僕の中で生きている。同様に、教え子が先生や授業、かけられた言葉を思い出す限りにおいて、その先生の教育は生きているのだと思う▼長年教員をする中で、どんな授業が良い授業なのか悩みながらここまで来てしまった。「楽しい」「眠くならない」「ためになる」「力がつく」「興味がわく」「もっと勉強したくなる」それぞれが正しいと思うし、それぞれだけではダメだとも思う。ただ、授業の中で得られた〝何か〟が生徒の人生を豊かにしている限り、記憶には残っていなくてもその授業や先生は生きているのだと思う▼教員の置かれた勤務状況は厳しく、「ブラック」「残業代なしの定額働かせ放題」「様々なクレイムやバッシング」など、悪いイメージばかりが広がっている。良い人材が教育界に入ってくるためには、勤務条件の改善は必須だ。しかしそれだけでもダメだと思う。私たち教員は、「教員になりたい」という教え子を育てるために、「教育に携わることが魅力と思える何かを生徒の中に残す」ことも大切な責務だと思う。