ほんりゅう 2020年5月20日(長澤)

2月末の首相による突然の要請から始まった臨時休校は3か月に及ぼうとしている。第一報に接したとき、太平洋戦争末期の1945年4月から8月の授業停止措置を思い出した。「戦争並みの対応だな」と感じていたら、「国難」「共通の敵」「みんなで力を合わせて」「打ち勝った時には」などの言葉が次々と発せられた。休業要請という形の「経済統制」、「緊急事態宣言」、赤字国債増発による補正予算、「自粛警察」…まるで戦時中のような非常時であると認識させられた▼再び日本が戦争する国になったら、こんなことが日常の風景になってしまうのかもと思う。今回のさまざまな措置は、不特定多数の人が死ぬという危機に対して、国民の生命と健康や暮らしを守るという目的がある▼一方、同様の目的を掲げ、他国からの攻撃に備えるのが戦争である。その結果として国民に犠牲を強い、不特定多数の人が死ぬという矛盾を抱えている。だからこそ「戦争に備える予算を一斉に感染症対策として使おうでないか」と世界に呼びかける政治家が現れることを期待してしまう▼最近頻発する自然災害と今回の感染症拡大といった「非常時」に慣らされているうちに、戦争にまで対応できる国民にはなりたくない、そんな子どもを育てたくない。