ほんりゅう 「犬のしつけ」的教育?(長澤)

 わが家には14歳になろうとする老犬がいる。最近は随分動作にも衰えが見え、耳も遠くなったのか「お座り」「お手」といったコマンドへの反応も鈍くなってきた。犬を飼うにあたり、少々調べてみたことがある-「犬を育てるのに民主主義はいらない」「人に犬が従うという関係を構築できなければ、犬は好き勝手に振る舞い、結果として人も犬も不幸にする」「だから子犬の頃のしつけが大事である」。こんな知識を得たかと思う。

 今、老犬を眺めながら、教育の目的が犬のしつけと同じになっていないかと心配になってきた。リードにつながれた範囲内での自由なら犬も許されているように、与えられた枠組の中でなら自由が認められる。あらかじめ設定された環境の中で頑張って成果を上げることが評価される。そして力のある者に意見を述べず、聞き分けよく大人しければ「よし」とする。犬に対してはここまでを目的とすればいいだろう。しかし、ここで終わっては「人格の完成」にたどり着かない。子どもや生徒、そして教職員も「犬」ではないのだ。