ほんりゅう 子どもたちが見ている (長谷川)

 

「あの時の話、覚えているよ」 子どもたちから時々そう言われる。嬉しかったり、ヒヤッとさせられたりする。子どもたちは、私たちを見ていないようで、見ている。何気ない言葉の中に「何か」を見つけだしたりする▼テレビはお笑いであふれ、ネットにはフェイクと誹謗中傷が飛び交っている。順位や得点が学校の一番の価値になっているのは、世の中が「効率」や「結果」を求めているからだ。子どもたちが、「人生」を深くまじめに考ることが妨げられている。そんな中でも、「何を学ぶべきなのか」「何を考えるべきなのか」「何を大切に生きていくべきか」静かに考えている子どもたちもいるだろう。「解き方や答を教えてくれる」先生よりも、「考えるきっかけ」や「ヒント」を与えてくれる先生を求めている子どもたちもいるだろう。そんな子どもたちが、「先生」も同じように考え・生きているのかを見ている気がする▼『君たちはどう生きるか』を読んで、こんなことを考えた。「肝心なことは、世間の目よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ」コペルくんの叔父さんのような先生には一人ではなれない。支え合い、学び合う仲間が必要だと思う。私たち岐阜県教職員組合(岐阜教組)は、そのような集まりです。ぜひ、岐阜教組に加入してください。心からお待ちしています。