ほんりゅう 子育ての心配は尽きない(長谷川)

 長男の逮捕を受けて、有名女優である親が多大な社会的な制裁を受けている。成人した子どもの行為にまで親は責任があるのだろうか。内外教育9/2号の小野田正利氏の記事にもある通り、社会の風潮が、誰か悪者を探して、晒し、溜飲が下がるまで追いつめ、満足したら次の標的を探しているように見える。「子育てに十分力を注げなかった」という後ろめたさを持つ親は、いつまでも安心が得られないのではないか。ベストセラーとなっている「言ってはいけない」(橘玲著、新潮新書)によると、子育ての苦労は報われるというのは「神話」に過ぎず、実際には子育てで学力や性格を変えられないという「残酷すぎる真実」があるという。確かに誰もが「子どもは親の思い通りには育たない」と実感している。親であっても子どもの性格を変えたり行動のコントロールはできない。ましてや成人してしまった子どもに対しては尚更である。「氏が半分、育ちが半分」の“氏”は遺伝、“育ち”とは子育てではなく「環境」の事らしい。親ができることは、「孟母三遷の教え」通り環境を変える事だが、その選ばれた環境のなかですら、子どもは自分の役割を選んで育っていくという。「自分の育て方が悪かったから」と自らを責める親の苦悩を軽くしてあげたいと思う。