ほんりゅう 2011年3月11日から5年が過ぎた(岩佐)

3月11日午後2時46分、「東日本大震災で犠牲となられた方々に対し哀悼の意を表すため1分間の黙とうを行います」と校内放送が入った。外では役所のサイレンが鳴っている。2011年3月11日から5年が過ぎた。▼2013年1月、福島を訪れた。南相馬市小高区では、津波で流された車が何台も田の中に放置されたまま。放射線量が高く手がつけられないということだった。これほど強く怒りを覚えたのは初めてだった。▼2015年8月、再び福島を訪れた。小高区では撤去作業が進み、さすがに車はなくなっていた。フレコンバック(廃棄物を入れる袋)がやたら目についた。作業員の他に人影はほとんどなく、同行した友人は、「ゴーストタウンだね」とつぶやいた。4年半でこの状態。これからどれだけの年月が必要なのだろう?!福島出身の同僚は、「子どもの減少と残された子どものケアなど教育の問題、雇用の問題、いまだに減らない自殺者の問題など、問題は山積みのまま」と言う。▼2016年3月、手元に置いてある「福島から伝えたいこと第3集」を読み返した。ある手記を前出の同僚に読んでもらった。「(南相馬市)原町の者のごく自然な思いですね」と言う。その手記はこう終わる。「どうか、どうか覚えていて。こんなにがんばっているのに、『終わっていると思っていた』なんていわれたら悲しいから」