ほんりゅう わたしたち教職員の「主体性」(長谷川)

 「アクティブ・ラーニング」と「主権者教育」が教育界でにわかに注目されている。この2つの共通点は「主体性」ー学習への「主体性」と政治への「主体性」ーではなかろうか。児童・生徒は主体的に学び、判断し、解決をめざすことが求められる。大学生が選挙に行かない理由を宮下与兵衛氏(首都大学東京)は「関心がない・わからない・(どうせ)変わらない」と分析しているが、「荒れる学校」の経験から、教員が「従順で文句を言わない」ことを押しつけてきた結果として反省が必要かもしれない▼ひるがえって私たち教職員の「主体性」はどうだろうか。学校長のリーダーシップは強調されるが、教職員は自分で考え、判断し、行動することができなくなりつつあるように思える。学校現場では前述の3項目に加えて「しない方がよい(自主規制)」があると思う。職員会議での発言が少ないのはこの4項目のいずれかにあてはまらないか。授業の「スタンダート」化や、学テ・入試・検定のための「問題演習」化が奨励される雰囲気も感じる。自由のない同調主義のなかでは自主性は生まれにくい▼「いい先生とは、降ってきた仕事をきっちりこなす事務能力が高い先生だと思ってました」「政治的中立が必要だから、教員は投票してはいけないと思ってました」「『これからの教員は主体性が大切』と言われてやろうとしたら管理職の意に沿わず止められた」(いずれも20代教員)▼「主体性」を身につけた子どもたちに、「先生に主体性はあるのですか?」と問われる時が来ると思う。