ほんりゅう 「『である』ことと『する』こと」(柏瀬)

 この正月にいただいた年賀状には、昨今の「安全保障関連法」をめぐる情勢の中で、「平和」や「憲法9条」に触れたものが目についた。その中に「『である』ことと『する』こと」を再読した(したい)というものが複数あった▼丸山眞男によって書かれたこの評論は、かつては高校国語教科書の定番教材であったので、読まれた方も多いだろう。そのごくごく最初の部分だけを要約すると、自由や民主主義は、そこに「ある」のではなく、自由であろう、民主的であろうと「する」不断の努力によって初めて実現するものだと述べられている▼「『である』ことと『する』こと」といえば、忘れられない思い出がある。それは今から40年以上前に受けたN先生の授業のこと。先生の授業の進め方が、一字一句を丁寧に掘り下げて、生徒と一緒に吟味するスタイルだったことに加え、クラスに議論好きなメンバーが揃っていたこともあって、毎時間議論が白熱し、一日に数行しか進めなかった。思い出は美化されがちだが、相手を論破するために、必死で本文を読み込んだ日々が懐かしい▼教員になって以来、あの授業を目標にしてやってきたが、遙かに及ばない。今年度も後わずかとなったが、これから、教員生活最後となるかもしれない「『である』ことと『する』こと」の授業に取り組む予定である。「安全保障関連法」の賛否や「18歳選挙権」など、若者の政治に対する関心が高まっている今だからこそ、「民主主義とは何か」を生徒と一緒に考えてみたいと思っている。