ほんりゅう 学問を軽視した先に未来はない(長谷川)

 教育に携わる一員として、日本はどうなってしまうのかと思う。「無知の知」ソクラテス、「知は力なり」F・ベーコンなどの言葉をご存知だろう。教育の内容は永年にわたる人類の英知の蓄積の上にある。その恩恵をうける私たちは、壮大な学問体系や、過去から現代に至る学者達に敬意を払い、大学などの学問の場を大切にしてきた。今の政権中枢には、それらを簡単に否定する人たちがいるらしい。「立憲主義を聞いたことがない」「基本的人権や国民主権や平和主義が日本をだめにした」。私たちがロックやルソーやカントを教えることは間違っているのか。▼過去の学説を否定することはありうる。しかし彼らは、論理的に否定するのではなく、単に「意見があわない・気に入らない」から否定していると思えてならない。▼戦争法案が憲法解釈上違憲であると指摘した憲法学者を「素人」と言い放つ。あまり大きく報道されてないが、国立大学の文系学部が大きく縮小されようとしている。今の政権が知性を軽んじている証拠に思える。▼「問題はすべて市場原理が解決する」とする新自由主義も、「○○人が一番すぐれている」とするナショナリズムも、「元凶は○○人」とするヘイトスピーチも、理由も証拠も示さず自分の欲するように世界を理解する。それを安易に拡散させる点で一部のネト民にもつながる。知を否定した政治が悲惨な事態を招くことを恐れる。ファシズムや文化大革命(中国)、クメール・ルージュ(カンボジア)、マッカーシズム(アメリカ)のように。