学校を離れて1年が経った。事情があって卒業式に出られなかった事もあり、関わった卒業生に電話をした。目的を失った様に見え、「これからどうするんだろう」と心配していた一人には、保護者に電話をした。彼が新たな道を歩み始めているのを聞き、安心したというより自分の未熟さを恥じ入った。自分は彼の評価を安易に下していたのではないか。
同じ頃、いわゆる進学校の約20年前の教え子と話をする機会があった。同級生に話が及んだ中で、やはり勉強に熱心でなく将来を案じていた教え子が、東京で会社を興し、サラリーマンではあり得ない収入と幸せな家族を得ている事を知った。もちろんその教え子が「勝ち組」と言えるかどうかも、これからの人生がどうなるのかもわからない。ただ、私たち教職員は一人ひとりの生徒の長い人生のほんの一部分しか関われないし、見ることができないことに気づかされる。しかし、しばしば私たちは、目の前の成績や行動で、生徒の人生をわかったような気になりがちではないだろうか。自分くらいの年齢になって同級生を見比べても、成績や学歴だけでその後の人生が幸せかどうかは決まっていないと思う。そもそも何をもって幸せな人生と言えるのかもわからない。
今回改めて考えた。長い目で生徒たちを見て、彼らが幸せをつかんでいくことを信じたい。目の前の「勝ち組」ではなく、人生の「勝ち組」となる可能性を伸ばす手助けをしていきたい。それが一人ひとりの生徒を大切にすることだと思う。