最近「里山資本主義」という新書を読んだ。ここ数年ボクの頭の中に「なぜ時代の流れに乗らなければならないのか」という疑問が渦巻いていて、これに対する自分なりの結論を出すのが直下の課題だと思っている。ただ、競争万能の新自由主義はいずれ破綻すると思ってはいるが、それに替わる有効な考え方を見出すことが出来ていない▼漠然と、資本家対労働者という対立の構図に替わって、豊かな者と豊かになりきれないでいる者の対立という構図を描いてはいるが、かといって豊かになりきれないでいる者が豊かな者を乗り越えていくというイメージはどうしても描けない。この点に関して、本書から一つの方向性を見つけることができた。金融資本主義(=新自由主義の究極の形態)のバイパスとしての里山資本主義という考え方だ。資本主義を無理に否定せず、身のまわりの資源を有効に活用して経済的にも充実した生活を送ろうというのだ▼今、地域の荒廃が進んでいる。新自由主義経済の流れに身を任せれば当然の帰結ということになるのだろうが、これではその先に果てしない格差社会が待ち受けているだけだ。本書は、だからこそ視点を変えようと提案している▼地域には埋もれた資源が少なくない。そこで、地域の高校がその地域と協力し合い、それを掘り起こし、さらには地域を盛り上げ、(心)豊かな生活を生み出していく若者を育てる拠点になればと、地元の高校に転勤して1年、強く願ってやまない。