今年の夏も、当然のように東北に出かけた。しかも、今年になって3度、福島の飯舘村と南相馬市小高区、そこから北上して宮城県南三陸町と同じコースを巡った。なぜか?▼福島へは、放射能汚染の恐ろしさや酷さを自ら身体で感じるために行く。そして、教壇に立つことの意義を考える。今回は、飯舘村という、原発の恩恵は全く受けることなく、放射能だけは大量に浴びさせられた村で村会議員さんのお話を伺った。までいな(手間隙惜しまず丁寧な)村づくりを掲げ、日本で最も美しい村をめざしてきた村だ。それが、仕上げの段階にさしかかったところで、原発事故による全村避難を強いられた。▼それが、ここまでつくりあげてきた村に一刻も早く村民を帰したい村長と、深刻な放射能汚染に、帰村に慎重な村人の対立が深刻になっていると聞いてきたが、事態は深刻なようだった。原発事故は、村と村民の生活を一発で破壊してしまった。このことは、小高区でも同じだ。▼地震と津波を機にコミュニティーの力が衰えつつある三陸沿岸は課題も多い。その中で、南三陸町は今でもボランティアセンターが機能しており、そこへ、三陸の人たちの温かさと、ボランティアとして集まる人の温かさを感じに行く。▼3・11から2年半、人々の記憶からこの大災害が薄れかけている今だからこそ、東北へ通い続け、声をあげ続けたいと思っている。