ほんりゅう 3・11から - 村上

 午後2時46分。多くの学校ではまだ子どもたちが校内にいる時間であった。「もしも自分がその場にいたとしたら…」そんな答えのない問いかけが、時折、脳裏をかすめる。
 「3・11 あの日のこと、あの日からのこと~震災体験から宮城の子ども・学校を語る」(かもがわ出版)に、教師・子ども・保護者など学校に関係する人たちの体験が綴られている。一つひとつの文章が、臨場感をもって迫ってくる。
 「(避難した日和山で)『先生、津波来てる!』という声に海を見ると、がれきや車が流されるのが見えました。家や車が門脇小学校にぶつかっています。」「学級ごとに名簿を見ながら引き渡しをし…。そこで7割ぐらいの引き渡しができました。」「その日は、石巻高校で夜を過ごしました。その夜いっしょに寝た子は全校で40人ぐらいでした。その子どもたちと全職員とで、ストーブを入れてもらった部屋に毛布を敷いて夜を過ごしました。何回も余震が起こり、そのたびにストーブを消しました。私たちは体育座りをしながらいました。停電していたので部屋は真っ暗です。」(門脇小学校・鎌田先生の手記より)
 学校は、子どもたちの命を預かっているのだ。このとてつもなく重い事実に、改めて気づかされる。こんな時はこうするというマニュアルづくりは確かに必要だろう。それ以上に、学校の在り方そのものが問われているのではないだろうか。